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カリフォルニアでの運転免許取得~その1~ [番外編]

 息子が生まれてから私たち家族はいくつかの土地を転々としてきましたが、その間、家にはいつも車がありました。

 そして明石で暮らす今、家には車がありません。
 私鉄の最寄り駅まで歩いて2分という地の利もあって、これまでさほど不自由を感じたことはありませんでしたが、最近になって息子が急に車が欲しいと言い出しました。
 それは、自転車で30分余りの大型スーパーまで、急な泊り客のために毛布を買出しに行ったことに起因します。
 アップダウンの激しいスーパーからの帰り道。厚くて重い客用の毛布をそれぞれ片手にぶら下げて、2人でフラフラと自転車をこいでいる横を、車が猛スピードで行き過ぎるたび、彼の車への欲求が膨らんでいったことは間違いありません。

 私としても、苦労して取得した車の免許を、ビデオを借りるための身分証明書としてしか使わないのは惜しい気がします。

 大学を卒業してすぐに通い始めた自動車教習所の地獄の特訓は、いまだに忘れられません。
 生来不器用な性質(たち)なので、教官には怒鳴られ続け、補習を何度も受けて費用はかさみ、卒業試験ではあやうく事故を起こしかけ…。
かろうじて合格した時には、あまりの解放感にせっかく習った運転を一気に忘れ去るほどでした。

 その後は通勤に車を使う必要があったため、日々の練習で運転はややましにはなったものの、車に関わる恐怖体験には事欠きません。

 そして、車がなければ生きていけないアメリカへ渡り、あらためてカリフォルニア州の運転免許を取ることになったのでした。
Hyndai.jpg

 
 アメリカでは州ごとに免許を取得する必要があり、試験の難易度も州によって様々です。
カリフォルニアとニューヨークは特に厳しいとは聞いていましたが、今さら教習所へ通う必要もなく、40問ほどの学科試験と30分ほどの実技試験にパスすれば免許が与えられ、しかも費用は全行程たったの12ドル!
 日本での免許取得の苦労に比べたら、これは楽だと考えてしまっても無理はありません。
 私は非常に気楽な気持ちで、まずは運転免許センターで学科試験の予約を取るところから、その第一歩を踏み出したのでした。

 学科試験当日、夫と共に受け付けを済ませ、試験会場に入ると、スタッフが試験問題を渡してくれます。時間制限は特にありませんが、あまりにも長時間居座る怪しげな受験者には、ガードマンが退場を命じることもあります。
 夫と私は、あらかじめ例題集を丸暗記していたので、四者択一式のその学科試験は難なくクリアできるはずでした。

 予想通りの問題に満足しつつ、完璧な解答用紙を提出した私に、その場で採点したスタッフはニコリともせず、たった一言、
「パーフェクト」
 
 学科試験にパスすると、次は実技試験の予約です。
 さっさと2週間後の予約を取り終え、さて夫はどうしたかなと先程の試験会場を覗くと、そこにはまだ厳しい表情で試験用紙と向き合う夫の姿が!

 私より勉強していた夫がいったい何につまづいているのか、ようやく出て来た夫に聞くと、彼に渡された試験問題は日本語だったというのです。
 私たちはずっと英語の例題で勉強してきました。内容はほとんど理解しないまま、問題文にこの単語が出たら答えはこの単語、というように、英単語の組み合わせのみで覚えていたのです。
 それを日本語で聞かれてしまっては、かえってわからなくなるというものです。

 夫はスタッフから当然のように日本語の問題用紙を渡され、私は「英語と中国語のどちらがいいか」と聞かれて、英語を選んだのです。
 
 正しく日本人と認識された夫も、中国人に間違われた私も、とにかく学科試験にはパスし、やがて始まる実技試験がアメリカ生活の中で最も辛い思い出になることもまだ知らずに、その晩はのん気に祝杯などあげていたのでした。
…つづく


☆アメリカで私はよく中国人と間違われていましたが、それはまあいいとして、日本ではどこかからの留学生に間違われることの多い夫が、アメリカでは日本人以外何者でもなかったのが不思議です。

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あつこ

私、ゴールドの免許証です~
そして、ただの証明書です~
試験の日、信号無視して はい、終わり~とか言われましたわ(ρ_-) 
最初の一年は父に隣乗ってもらって練習してたんですけど
店の看板にぶち当たったり ガレージで誘導してくれるお兄さんを引きかけたり・・・もう恐くて乗れなくなりました。
きっともう乗れない・・・

アメリカでの話しの続き、なんやろ~、気になる~
by あつこ (2008-09-09 20:13) 

Duarte

☆あつこさん、
あははは!それはきれいなゴールド免許ですね!
私も何年運転しても相変わらずヘタですが、これまで事故らしい事故を起こしたこともないのは、車に守られてるのでは?と思ったりします。車にはそのたび名前をつけてかわいがるようにしています(笑)
by Duarte (2008-09-09 21:42) 

El Molino

話の続き、気になる、気になる。早く読みたい~~!
車につけてる名前も気になる。聞きた~い!!

アメリカでの免許取得。
確かに、日本語問題は訳がヘンで意味わからないから、
英語で受けるべし・・・と、先住の日本人にアドバイスされたし、
実際、私も英語で受けた記憶が・・・・。
実技試験のこと、あんまり覚えていないのですが、
そんなにすごく大変だったっけ??
取ってしまうとすっきり忘れている私です・・・・・。



by El Molino (2008-09-10 13:10) 

Goldenwest

私にとって免許の試験は、アメリカでのつらい体験ワースト3に入る、決して思い出したくない出来事の一つでした。
おまけに、あのときDuarteさんのお宅のお車の「異変」に気づいていながら、どうして教えて差し上げなかったのでしょう・・・痛恨のミスでしたわ。
しかし、およそトラブルの多いお車でしたね。。。お名前はなんだったのでしょう。

by Goldenwest (2008-09-10 13:31) 

Duarte

☆El Molinoさん、
あんまり覚えてらっしゃらないということは、きっとEl Molinoさんは実技試験も一発で見事合格されてたんだと思いますよ。免許にとても苦労したというお話を伺ったのは、Goldenwestさんでしたね(笑)

写真の車、メキシコ人ディーラーに”Japanese Honda”だと騙されて買った痛恨の韓国車”Hyndai”、名前は”ホンダくん”です!
しかし、どう考えてもそんなことで騙される方がおかしいですよね~。
by Duarte (2008-09-10 22:59) 

Duarte

☆Goldenwestさん、
カリフォルニアの運転免許にまつわるGoldenwestさんのご苦労話、覚えております。
そして、うちの”ホンダくん”の度重なるトラブルで、Goldenwestさんのあの黒いお車には何度お世話になったことか…。息子の送り迎えから、日本からの客人の迎えまで…。その節は本当にありがとうございました!
うちの韓国車には、買った額と同じだけの修理費用がかかりました。運転中、いつ止まるかと、生きた心地がしませんでした(笑)

by Duarte (2008-09-10 23:16) 

El Molino

「ホンダくん」でしたか。
いや、免許は別として、度重なるトラブルといえば、
我が家の「チェロキーくん」も何度トラブル起したことか!!
日本人はトヨタ車を買う人が多い中、
せっかくアメリカに来たんだからアメ車(しかもお金ないから中古)
にしようなんて、甘い考えだったのだーー!!
ダンナは昼間仕事なので、車屋に持って行くのはいつも私。
車のことなど、日本語でもうまく説明できないっていうのに、
英語で説明せねばならず、それはそれは苦痛でしたよ。全く!
しかし、なんか、こうして思い出すと懐かしいですねぇ。
by El Molino (2008-09-11 00:03) 

Duarte

☆El Molino さん、
「チェロキーくん」もトラブル多かったんですね。やっぱり日本車が一番トラブル少なかったですよね。
車を修理に出す作業も一苦労でしたよね~。そして修理に出すと、さらに別のところが壊れて戻ってくることもよくありました。
今では笑い話になる思い出ですが、当時は冷汗ものでしたね。
by Duarte (2008-09-12 22:07) 

佐賀の夜桜

アメリカは車のトラブル多かったですね。
運転中にエンジンが止まり、同時にハンドルがロックされる恐ろしい車、キーがなくてもエンジンがかかる愉快な車(?)、日本人の知り合いの車でいろいろ見ました。実際に運転したのでは、スピードメータが壊れていて法定速度65マイル(105キロ)のつもりが85マイル(135キロ)以上で走っていたというのがありました。あの時はどうして世間の人は今日に限ってゆっくり走っているんだろうと思ったものです。
しかし、トラブルのおかげで、演奏会に向かう途中にエンストしたアメリカ人のおじいさんを会場まで乗せてあげたら、お礼にと「りんごの歌」を三番まで歌ってくれたという印象深い経験ありました。
by 佐賀の夜桜 (2008-09-13 21:06) 

Duarte

☆佐賀の夜桜さん、
やはりアメリカでの車のトラブルはハンパじゃありませんね。事故がなかったのが不思議なくらいです。うちの「ホンダくん」は帰国時、渡米したての日本人研究者の方に買っていただくことが決まったのに、引渡しの日に動かなくなってしまい、それでも無理矢理押し付けて来たのですが、あの時の日本人研究者Nさんの不安そうな顔が今でも忘れられません。いまだに良心が痛みます。
「りんごの歌」を三番まで歌えるアメリカ人のおじいさん、ってのもすごいですね。
by Duarte (2008-09-17 17:39) 

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