6.小学校の修学旅行~広島~ [小学生時代]
梅雨も半ばのある日、どんよりと垂れ込めた雲を吹き飛ばすかのような勢いで、息子たち6年生は元気よく広島へ旅立って行きました。
修学旅行です。
明石市の小学生は、親の時代からずっと伊勢志摩方面へ出かけていたそうですが、今年から目的地は広島になりました。
アメリカにいた頃、職場のアメリカ人から、
「あなたの世代の日本人は広島や長崎の原爆についてどう考えているか」
と聞かれ、ろくに答えられずに恥ずかしい思いをしたことがあります。
親がいよいよ戦争について教えられなくなってきた今の時代に、平和学習を兼ねて学校が子供たちを広島へ連れて行くというのは正解です。
しかし、新しい目的地への初めての修学旅行、先生方のご苦労は察して余りあります。
この修学旅行にあたって、学校では事前に保護者説明会がありました。
日程や持ち物などの事細かな説明はもちろんのこと、旅行当日までの過ごし方についても丁寧な解説があり、さらに旅行1週間前から前日までは毎日体温を測り、便の様子や食欲もチェックする、という念の入れよう。
しかも、旅行前日は半日授業で翌朝の出発に備え、旅行終了の翌日は日曜日でお休み、翌月曜日も半日で、体力の回復を考慮に入れた万全の日程となっています。
日本の学校というのは、まさに至れり尽くせりです。
アメリカの学校でも息子は何度か旅行に参加しましたが、朝4時集合の夜10時解散といったハードスケジュールでも、翌日は普段通りに授業がありました。アメリカ人はやはり体力があるのでしょうか。
また、自分の子供を旅行に行かせるか行かせないかは親の自由なので、参加せずにその日だけ別のクラスで勉強していても、特別な目で見られることはありません。
平等の名のもとに無理して全員参加を実現させるよりは、参加しないという選択肢を当然のこととして認めることの方が、ある意味平等なのかもしれません。
しかし正直なところ、アメリカ人こそ子供のうちからもう少し団体行動を経験させた方がいいのではないか、と思うこともしばしばでした。
それはさておき、ここは日本、幸い不参加の理由など何一つ見当たらない息子のために、たった1泊2日の旅行では元が取れないくらいの時間と労力を費やして、私は旅支度を調えてやりました。
当日の朝、家から西明石の新幹線口までは友だちと一緒に歩いて行くというので、私は別路こっそり駅まで向かいます。
すでに集合した大勢の子供の中で一際目立つ大きな頭とも、一晩のお別れです。
翌日、旅先の担任の先生から電話があった時には、どこかでそんな電話が来ることを予期していたように思います。
「朝ホテルでこけて足を捻挫しましたが、最後まで皆と一緒に行動させます。西明石駅まで迎えに来て下さい」
あんなにはしゃいでいたら、きっと一度くらいは転ぶだろうという私の予想は見事的中しました。引率の先生方にとってはただでさえ大仕事の修学旅行、こういう子供がさらに余計な仕事を増やすのです。
夕方、新幹線ホームに降り立った当の本人は、片足を引きずりながらも笑顔でした。
家から持参の1日目のお弁当に、お母さん方は皆手紙を添えると聞いたので、私も『お土産よろしく』という手紙を入れておいたのですが、『ころばないでね』の方がよかったかもしれません。
その2日後、息子が旅先から家族宛てに出したハガキが届きました。
真っ白なハガキの右隅にたった1行、
『くわしいことは家で話す』
☆私たち、松本の小学生の修学旅行は名古屋でした。出身地の異なる人と話すと、修学旅行先が様々で面白いです。
修学旅行です。
明石市の小学生は、親の時代からずっと伊勢志摩方面へ出かけていたそうですが、今年から目的地は広島になりました。
アメリカにいた頃、職場のアメリカ人から、
「あなたの世代の日本人は広島や長崎の原爆についてどう考えているか」
と聞かれ、ろくに答えられずに恥ずかしい思いをしたことがあります。
親がいよいよ戦争について教えられなくなってきた今の時代に、平和学習を兼ねて学校が子供たちを広島へ連れて行くというのは正解です。
しかし、新しい目的地への初めての修学旅行、先生方のご苦労は察して余りあります。
この修学旅行にあたって、学校では事前に保護者説明会がありました。
日程や持ち物などの事細かな説明はもちろんのこと、旅行当日までの過ごし方についても丁寧な解説があり、さらに旅行1週間前から前日までは毎日体温を測り、便の様子や食欲もチェックする、という念の入れよう。
しかも、旅行前日は半日授業で翌朝の出発に備え、旅行終了の翌日は日曜日でお休み、翌月曜日も半日で、体力の回復を考慮に入れた万全の日程となっています。
日本の学校というのは、まさに至れり尽くせりです。
アメリカの学校でも息子は何度か旅行に参加しましたが、朝4時集合の夜10時解散といったハードスケジュールでも、翌日は普段通りに授業がありました。アメリカ人はやはり体力があるのでしょうか。
また、自分の子供を旅行に行かせるか行かせないかは親の自由なので、参加せずにその日だけ別のクラスで勉強していても、特別な目で見られることはありません。
平等の名のもとに無理して全員参加を実現させるよりは、参加しないという選択肢を当然のこととして認めることの方が、ある意味平等なのかもしれません。
しかし正直なところ、アメリカ人こそ子供のうちからもう少し団体行動を経験させた方がいいのではないか、と思うこともしばしばでした。
それはさておき、ここは日本、幸い不参加の理由など何一つ見当たらない息子のために、たった1泊2日の旅行では元が取れないくらいの時間と労力を費やして、私は旅支度を調えてやりました。
当日の朝、家から西明石の新幹線口までは友だちと一緒に歩いて行くというので、私は別路こっそり駅まで向かいます。
すでに集合した大勢の子供の中で一際目立つ大きな頭とも、一晩のお別れです。
翌日、旅先の担任の先生から電話があった時には、どこかでそんな電話が来ることを予期していたように思います。
「朝ホテルでこけて足を捻挫しましたが、最後まで皆と一緒に行動させます。西明石駅まで迎えに来て下さい」
あんなにはしゃいでいたら、きっと一度くらいは転ぶだろうという私の予想は見事的中しました。引率の先生方にとってはただでさえ大仕事の修学旅行、こういう子供がさらに余計な仕事を増やすのです。
夕方、新幹線ホームに降り立った当の本人は、片足を引きずりながらも笑顔でした。
家から持参の1日目のお弁当に、お母さん方は皆手紙を添えると聞いたので、私も『お土産よろしく』という手紙を入れておいたのですが、『ころばないでね』の方がよかったかもしれません。
その2日後、息子が旅先から家族宛てに出したハガキが届きました。
真っ白なハガキの右隅にたった1行、
『くわしいことは家で話す』
☆私たち、松本の小学生の修学旅行は名古屋でした。出身地の異なる人と話すと、修学旅行先が様々で面白いです。
2008-07-24 15:12
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