17.部活見学 [中学生時代]
3学期の終業式も近づいたある土曜日、降り続いた雨がやっと上がり、薄くたち込めた春霞の向こうに明石海峡大橋が見えると、こんな日こそ家族揃って出かけなければ、という義務感にも似た気持ちに私の心は支配されます。
しかし、お出かけの中心となるべき息子は今日も朝から部活です。
「練習なんか、さぼっちゃえ」という両親のあきれた誘惑にも負けず、息子はさっさと出かけて行きました。
家に取り残された夫と私は、結局息子の練習をこっそり見に行くことにしたのでした。
親が顔を出すと、本当は嬉しいくせに、ついつい「来るな!」などと暴言を吐いてしまう最近の息子には絶対気づかれぬよう、そっと学校の体育館を覗いた途端、
「やあ、お母さん、いらっしゃい」
と、いきなり顧問の先生に見つかってしまいます。
仕方なく、
「今日は父親も一緒です」
と夫を紹介すると、先生はバレーコートの脇に椅子まで用意して下さって、いつの間にか私たちは体育館の中で最も目立つ存在として、最も避けたかった状況に陥っていたのでした。
当日は他校との練習試合で、接戦の第1セットが終わろうとしています。
試合での息子の役目は、たいていラインズマンか得点係。
今日も得点ボードの前で、あくびをかみ殺したような顔をして突っ立っています。
こんなところを両親揃って見学に来られたのでは彼も立つ瀬があるまい、とため息をついていると、先生が
「次のセットに出しますから、これまでの練習の成果を見てやって下さい」
とおっしゃるではありませんか!
練習試合とはいえ、息子が出るとなれば、夫婦2人してさらし者になった甲斐もあるというものです。
バレーボールを始めて1年経つか経たないかの1年生がメインのチームですが、休日も休まず練習を積んできただけのことはあって、相手のミスのみがわずかな得点源であった半年前の試合が嘘のように、今日の彼らはこれぞバレーボール、という試合を見せてくれました。
先生は、これ以上ないほど真剣な目をしてチームの一挙手一投足を観察し、そのたび一人ひとりにアドバイスを与えますが、あまりに熱が入り過ぎてその怒声は体育館中にこだまし、終いには手も出て部員は今にも泣き出しそう、先生の血管は破裂寸前です。
そしてもっと驚いたことには、”おはよう”の挨拶さえまともにできないシャイな年頃の彼らが、咆哮し終えて肩で息する先生に”ありがとうございました”と一礼して試合に戻っていくのです。
近頃では人権尊重を謳うあまり、妙に生徒に気を使う先生が目立つ中で、すでに死語と化した『熱血先生』が息子の身近にいたことを、今日私は再発見しました。
夕方帰って来た息子からは、見学に行ったことを責められるどころか、「お父さんとお母さんが見てたから今日の先生は優しくて助かった」などと逆に感謝されました。先生の大迫力の喝に、ただの見学者の私でさえ涙がにじむような緊張を覚えたというのに、あれで優しかったとは…。
男子バレーボール部の1年生は、息子を含めて19名。
熱血先生の猛特訓のもと、陰では百曼陀羅の文句を並べながら、それでも1年が経過していまだ脱落者無し。
みんなよく続くなあ、と誰もが感心する中、実は彼らの本音は、やめたいけれどもやめたらもっと恐いことになりそう、というところにあるのではないかと私は想像するのですが、ことうちの息子に関して言えば、どうやらそれは図星です。
佐久の酒
☆この時の練習試合、息子は頭でスパイクを受け、すぐに交代したのでした。
しかし、お出かけの中心となるべき息子は今日も朝から部活です。
「練習なんか、さぼっちゃえ」という両親のあきれた誘惑にも負けず、息子はさっさと出かけて行きました。
家に取り残された夫と私は、結局息子の練習をこっそり見に行くことにしたのでした。
親が顔を出すと、本当は嬉しいくせに、ついつい「来るな!」などと暴言を吐いてしまう最近の息子には絶対気づかれぬよう、そっと学校の体育館を覗いた途端、
「やあ、お母さん、いらっしゃい」
と、いきなり顧問の先生に見つかってしまいます。
仕方なく、
「今日は父親も一緒です」
と夫を紹介すると、先生はバレーコートの脇に椅子まで用意して下さって、いつの間にか私たちは体育館の中で最も目立つ存在として、最も避けたかった状況に陥っていたのでした。
当日は他校との練習試合で、接戦の第1セットが終わろうとしています。
試合での息子の役目は、たいていラインズマンか得点係。
今日も得点ボードの前で、あくびをかみ殺したような顔をして突っ立っています。
こんなところを両親揃って見学に来られたのでは彼も立つ瀬があるまい、とため息をついていると、先生が
「次のセットに出しますから、これまでの練習の成果を見てやって下さい」
とおっしゃるではありませんか!
練習試合とはいえ、息子が出るとなれば、夫婦2人してさらし者になった甲斐もあるというものです。
バレーボールを始めて1年経つか経たないかの1年生がメインのチームですが、休日も休まず練習を積んできただけのことはあって、相手のミスのみがわずかな得点源であった半年前の試合が嘘のように、今日の彼らはこれぞバレーボール、という試合を見せてくれました。
先生は、これ以上ないほど真剣な目をしてチームの一挙手一投足を観察し、そのたび一人ひとりにアドバイスを与えますが、あまりに熱が入り過ぎてその怒声は体育館中にこだまし、終いには手も出て部員は今にも泣き出しそう、先生の血管は破裂寸前です。
そしてもっと驚いたことには、”おはよう”の挨拶さえまともにできないシャイな年頃の彼らが、咆哮し終えて肩で息する先生に”ありがとうございました”と一礼して試合に戻っていくのです。
近頃では人権尊重を謳うあまり、妙に生徒に気を使う先生が目立つ中で、すでに死語と化した『熱血先生』が息子の身近にいたことを、今日私は再発見しました。
夕方帰って来た息子からは、見学に行ったことを責められるどころか、「お父さんとお母さんが見てたから今日の先生は優しくて助かった」などと逆に感謝されました。先生の大迫力の喝に、ただの見学者の私でさえ涙がにじむような緊張を覚えたというのに、あれで優しかったとは…。
男子バレーボール部の1年生は、息子を含めて19名。
熱血先生の猛特訓のもと、陰では百曼陀羅の文句を並べながら、それでも1年が経過していまだ脱落者無し。
みんなよく続くなあ、と誰もが感心する中、実は彼らの本音は、やめたいけれどもやめたらもっと恐いことになりそう、というところにあるのではないかと私は想像するのですが、ことうちの息子に関して言えば、どうやらそれは図星です。
佐久の酒
☆この時の練習試合、息子は頭でスパイクを受け、すぐに交代したのでした。
2008-12-20 23:04
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